うつ病のわたしからあなたへ 心レター

うつ病の療養から見えてきたこと、心の病を抱える方やご家族に役立つ情報をシェアしていきたいと思います。特に、精神疾患での労災について、詳しく説明します。

うつ病の奥に潜む心の問題

こんにちは。あやです。

私はうつ病を発症してすぐに仕事を休むことができず、

重症化してから休職しました。

重症のうつ病の奥には、大きな心の問題が潜んでいるのではということについて、

今日は書いていこうと思います。

 

療養生活も3年を過ぎました。

これまで、うつ病になった自分についていろいろと考えてきましたが、

昨年の入院をきっかけに、とても大きな問題に気づくことになりました。

 

きっかけは、入院中に受けた心理検査でした。

ロールシャッハやWAISⅡなどのさまざまな検査を受けた結果を

臨床心理士さんがまとめてくれました。

そこで指摘されていたのが、「自己存在の不安」です。

説明を聞くと、「自分は存在していいのかな。いけないのかな」という不安を

常に抱えているということでした。

 

説明を聞いたときはピンときませんでしたが、

退院後にいろいろ考えているうちに、気づいたことがありました。

私は10代のころ、家庭内で常に自分を否定されていました。

父はいわゆる酒乱で、ささいなことで母をどなりつけ、

時には暴力をふるうこともありました。

今でいう「面前DV」ですね。児童虐待の一種です。

 

私はそんな父に強い反発を覚え、母を守ろうと父にどなり返したりしました。

私は気が強いタイプで、幼いころから両親の男尊女卑的なあり方に

ずっと疑問を抱いていました。

矛先が自分に向いてもかまわず、父の態度を非難しました。

典型的な機能不全家族ですね。

 

そんな私に父がよく言ったのが、「出ていけ」です。

出ていきたいのはやまやまですが、私はまだ中学生。

家を出て自活することはできません。

だから仕方なく家にとどまりましたが、

父のお金で生活することが、屈辱的でなりませんでした。

私の自尊心は、どんどん削られていきました。

 

加えて、私はセクシュアルマイノリティでもあります。

中学生のころには、自分がレズビアンだとわかりましたが、

当時は同性愛など異常だというのが世間の風潮でした。

誰にも言えず、友達にも本当の自分を見せることができず、

こんな異常な自分は将来どうやって生きていけるのだろうと不安でした。

 

当時の自分を思い出して、心の中に中学生の私を思い浮かべてみると、

怒りと屈辱と悔しさで泣きじゃくっていました。

誰もいない、一人きりの暗い部屋の中にいました。

その自分に、今の自分が何かできるとしたら。

 

大人である今の自分の目線で、当時の状況を俯瞰してみました。

荒れた家、味方になってくれる家族もいない。

だけど、そんな中で毎日学校に行って、きちんと勉強をして、

クラブ活動も一生懸命こなしていました。

クラスメートとも仲良くやっていました。

そう思うと、「よくがんばってるじゃないか!」としか言いようがありませんでした。

 

そして、今の私が中学生の私にできることは、

「お前は何も間違ってはいない!おかしいのは周りだ!」

と言ってあげることでした。

 

夫婦のもめごとを中学生に見せるなんて、両親がおかしい。

食ってかかった私は何も悪くない。

レズビアンであることを隠さなければ生きていけないのは、

そんな世の中のほうが間違っている。

レズビアンである私は何も悪くない。

 

この作業を通して、私はこれまでの人生に敬意を払うようになりました。

いつでも自分は懸命にベストを尽くしていた。

間違ったこともあるかもしれないけれど、そうなったのにはちゃんと理由がある。

そして、重症のうつ病になって、ようやくこのことに気づけたことも。

 

まだ「存在の不安」すべてを解消できたわけではないかもしれないけれど、

ここに書いたことは、私にとって、大きな意味のあることでした。

自分の人生を肯定的に見られるようになったからです。

 

うつ病が治るまで、心の旅路はまだ続きそうですが、

とりあえず今は、ここまでたどり着いた自分にお疲れさまと言ってやろうと思います。


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