こんにちは。あやです。
今日は、うつ病に関係する心と行動の問題について、
自分の経験を書いてみようと思います。
3年前に休職した当初、「なぜこんなことになってしまったのだろう?」と
毎日毎日考えていました。
その時はまだ労災であるとは考えられず、
「自分のどこがいけなかったんだろう?」と内面に原因を求めていました。
自分の人生や生き方を振り返って見えてきたのは、
ただただひたすらがんばってきたということでした。
いい大学に入るために、いい高校を目指し、
酒乱の父が暴れるぐちゃぐちゃな環境の中で、必死に勉強していました。
受験生を気遣うなんて、一切ありません。
小学生のころを振り返ると、印象に残るエピソードがありました。
高学年になると、勉強のできる子、できない子がはっきりしてきますよね。
わたしは勉強のできる子でした。
というか、母は常にわたしにいい成績を求めていましたし、
勉強だけでなく、体育や音楽などの教科でも「できる子」を求めていました。
テストが返ってくる日、帰宅すると必ず何点だったかきかれました。
100点と答えると、「他に100点の子はいたの?」
95点と答えると、「100点をとった子はいたの?」
80点と答えると、「どうしてそんなに点が低いの?クラスの平均点は?」
そんな風なやりとりが日常的でした。
100点をとっても褒められることはなく、当然として受けとられ、
クラスで1番でないと、テストで間違った箇所をやり直しさせられました。
他の家庭を知らない子どものわたしは、そういうものだと思っていました。
でも、ある時、夏休み前だったでしょうか、
クラスで「通知表の成績が良かったら、欲しいものを買ってもらえるんだ」と
言っている子が何人かいることに気がつきました。
その子達は決して勉強ができる子ではないのに、ご褒美をもらえるんだ!と驚きました。
わたしはクラスで1位、2位の成績をキープしているのに、
何も買ってもらったことはなかったのです。
そこで、帰宅後母に言ってみました。
「今度の通知表がオールAだったら、何か買って」
母になぜそんなことを言うのかときかれ、わたしはクラスで聞いたことを話しました。
母の答えは、「ものをもらうために勉強するものではない」でした。
わたしはがっかりしました。
何度もオールAをとっているのに、ご褒美ももらえない。
欲しいのは、おもちゃではなくて、称賛でした。
「よくやってるね。えらいよ」そんな言葉をかけてもらいたかったのです。
わたしは当時おこづかいももらえませんでした。
何度も親に頼みましたが、ダメの一点張りでした。
わたしより成績の悪い子でも、おこづかいはもらっています。
親の言動からわたしが受けとったメッセージは、次のようなものでした。
「他の皆はいいけど、お前だけは完璧でないと存在を許されない」
これは深く深く内面化されて、うつ病になって振り返るまで、意識にすら上ることはありませんでした。
こうして、わたしは「がんばり教」を人生の行動指針として生きることになりました。
常に難しいことに挑戦する。完璧を求める。優れた業績を上げる。
そんなわたしにとって、前の職場は悪魔的にマッチしてしまったのです。
人手は足りないけれど、たくさんの仕事をこなさなければならない。
「1人では無理です」と訴えても、「予算がない」と却下。
初めての業務であっても、誰も教えてくれない。
そんな職場に不満は持っても、おかしい!とは思えなかったのです。
課された業務はきちんと遂行しないと!と、残業の毎日。
休日出勤も当たり前でした。
なぜこの業務?と疑問を持っても、「いや、この業務にはこういう意義がある」と
無理やりとらえなおして、「前向きに」取り組みました。
うつ病を発症しても、担当者がわたし1人しかいないセクションだったので、
「自分が休むわけにはいかない」と2年間働き続けました。
責任感があると言えば聞こえはいいですが、
「がんばり教」を内面化していたわたしは、自分を顧みることなく
がんばり続けました。
休職して自分を振り返り、やっとこのくせに気づくことができました。
でも、気づいたからと言って、すぐに改められるわけでもなく、
小さな失敗を何度も繰り返してしまいました。
体調が悪化して初めて、「あ、やりすぎてた」と気づくことの繰り返しです。
うつ病になる人は、真面目な人が多いと言います。
わたしと同じように「がんばり教」の人もいるのではないでしょうか。
試行錯誤を繰り返した中で「脱・がんばり教」の秘訣を挙げるとしたら、
自己評価を高めることでしょうか。
何もできなくてもいい、何も生み出さなくていい、
1日中寝ていたっていい。
とにかく「何かしなければ!」と思ったら、
それは「がんばり教」が頭をもたげているしるし。
うつ病は、「もうがんばれない」という心と身体からのメッセージ。
今までがんばった自分を認め、労い、休むことを許可する。
療養はまずはそこがスタート地点だと思います。